いかに生くべきか 緒言 私はこの書によりて何ものをも主張しようとは思わない。また私のこの思想をそのまま受け込んで 貰いたいと望むのでもない。私はただ私の魂のまことの希願に迫られて、私自らが辿り来ったその 思想の一端を、拙き文字を借りて披瀝したに過ぎないのである。私はこの書によりて私の魂が他の 人々の魂との共鳴に生きんことを求めているだけである。 もし布教ということが、一定の法理を説明し伝うることのみの意であるとみるならば、この書は布教 叢書の一編としては、あるいは最も不適当なものであるであろう。しかし私は布教ということをそうい う意味であるとは思わない。言葉の起こりはどうであったにしても、もし真実の意義においてこれを解 するならば、それは人類に対する愛のこころから、自他の魂の共鳴を求むるものでなくてはならない。 我と人と同じ生命の流に生きんことの欲求に外ならぬ。私にとりて他の人々を恋うる心はすなわち私 自らの生命を恋うる心である。私は人生を愛することによりて私自らの魂を人生の上に見出さなけれ ばならない。私にとりて、布教は直ちに私の生活を意味する。この意味から私はこの書を本叢書の一 編として提出するのである。 願わくば読者よ、徒に本書の内容を是非するのみに止まらず、汝は汝自らの魂に復活し帰命して頂 きたい。汝自らの魂は、私にとりてはすなわち私自らの魂である。 著者識 大正六年一月二十七日 |