浄土真宗本願寺派 正徳寺 念仏者は無碍の一道なり


                


西本願寺

神戸別院


兵庫県明石市大観町12−5

浄土真宗本願寺派

縁光山 正 徳 寺

電話( 078 ) 917-0358
Fax .( 078 ) 917-0507


正徳寺沿革

寺伝によると、当山は室町幕府が滅亡した天正元年(1573年)、に創建されたとある。
開基空圓法師については、二階堂出羽守入道三代の嫡流であったとも伝えられている(*1)

宮本武蔵が町割りをしたとされる(*2)明石城下の町屋の中心に堂宇を構え(*3)、
寛永18年(1641年)に焼失するも後に再建。

第5世教智の享保5年(1720年)より明石藩宗旨奉行方の御用により宗判寺となる(*4)。

第10世僧英の弘化3年(1846年)、二度目の火災により焼失。安政3年(1856年)かつて第2世了順、
弟賢立の父賢誓法師が住持した奈良正覚寺より現在のご本尊となる阿弥陀如来像を奉迎した(*5)。

第11世僧厳は明石藩士杉山家より寄進された現在地に本堂を再建のため慶応4年(1868年)寄付帳を廻して
募財を請うが時は正に維新、先ずは庫裏を建て本堂の建立は時移り
第12世覺讓の明治16年(1883年)の5月に竣成となる(*6)。

その本堂も第13世了以の時代、昭和20年(1945年)7月7日未明第二次大戦の空襲により焼失。
当日の攻撃により明石市内の7割の家屋は焼失したと了以は書き記している。

昭和39年(1964年)第15世岳登は揖保郡西楽寺旧本堂(文化年間建立)を移築し落成法要を修行し、
その後昭和50年(1975年)に庫裏を再建、平成15年(2003年)に門徒会館を建立する。

平成22年(2010年)第16世弘明、法灯を継承し平成24年(2012年)5月31日親鸞聖人750回大遠忌
並びに住職継職奉告法要を修行する。

平成30年(2018年)隣接地を取得し「還龍の庭」を造成、親鸞聖人御像を建立する。


創建以来、江戸時代以前から現在に至るまで約450年に亘り営々と念仏弘宣の場として
この明石の街にその歴史を刻んでいる。


*1、『空圓』を開基とする寺院は他に二カ寺あり、いずれも「二階堂」姓を名乗っている。

*2、『播州明石記録』には、元和3年(1617年)明石藩主となった小笠原忠真の客分だった宮本武蔵が
城下町の町割りを指導したと記されている。

*3、『地誌播磨鑑』(宝暦12年平野庸脩)には、「【正徳寺】一向宗 在南大黒町東側 亀山本徳寺末寺」とある。
南大黒町は現在の本町1丁目辺り(下図1参照)

*4、『明石名勝古事談』(橋本海関)には「南大黒町の東側に在り表本堂は西向きなり火災に罹り今の處へ移す
姫路亀山本徳寺の末寺眞宗當時一向宗と称す享保五年八月より宗者改めを此寺に執行す…
此宗者改めは當時切支丹厳禁の爲に執行するもので…」とある。

*5、慶安元年(1648年)本願寺第13世良如上人の御判のあるもので平安時代の高僧恵心僧都の作と伝わっている。
「腹内小物有り振れば鳴」と裏書が添えられている。

*6、文久3年(1863年)第11世僧厳の時に描かれた二枚の地図 ( 図1、図2 )には南大黒町と現在の場所の両方が
それぞれ記せられているところから寺基移転は此の頃と思われる。

     
 図 1     ( 図をクリックすると拡大します。)      図 2



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